
秋刀魚
発行:黒潮文化(台湾)
*中国語繁体字・日本語訳なし
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台湾で刊行される〈日本紹介雑誌〉「秋刀魚」。
台湾視点で特集される「日本」は普段見ている景色にまた違った印象を与えてくれます。
特集テーマも「京都の宿」や「グッドデザイン賞」などスタンダードなものから、「カレー」「コンビニ」「ガチャガチャ」「ラーメン」などのニッチな文化、はては、「下北沢」や「東北」、「香港で見つけた日本」などそこ?という地域特集まで。
言葉はすべて中国語繁体字ですが、紙面の雰囲気は楽しむことができますし、漢字をメインに据えたレイアウトの参考などにも。
もちろん、最近台湾に行けておらず実物が買えない方にも。
誌面サンプルは公式サイトをどうぞ。
(サイト)http://qdymag.com/news/143
(日本語紹介文)
林森北になる前
あなたの知らない大正町の歴史風情
この様な顔は、あなたがかつて発掘したことの無い林森北條通だろう。
都市、それは人々の生活を記憶する物差しであり、歴史の深さを測り、感情のメモリを残すモノでもある。私はこの街の中で、この時代が生まれる前の物語を発掘するのが大好きだ。全台北、延いては全世界で、最も日本の夜遊びの容貌がある街(日本国内以外)、それは林森北條通他ないだろう。短い10本の路地には、100年近い日台の政治経済の光景が濃縮されでいるのである。
今の台湾人にとって林森北はまるで薄衣を纏った女性の様で、神秘的で風情が有り、ネオン街の裏に日台の感情を秘めた最も曖昧なグレーゾーンなのである。歴史を開いてみると、情欲の街であるここが、実は大正時代には総統府に続く日本高級住宅街ー「大正町」とされていた事に驚かされる。
整然とした路地は典型的な日本古来の街並みであり、日本が台湾を離れ、国民党政府来台や、米軍襲来につれて、高級住宅街は人々に偲ばれる過去のものとなった。日本企業の台湾進出が盛んになると、夜の街「林森北」は賑わいの頂点を迎え、「大正町」は風化し「條通」の時代を迎えた。
面白いことに、歴史がなんと定義しようと、最強の包容力を持った台湾は常に自らの生きる道を切り拓く事が出来るのである。日本語の中で「條」は数の単位を示し、「通」は道を表しているが、日本語辞典をどれだけ探しても、「條通」の二文字は見つからない。林森北路の條通文化は人々の心に刻まれ、「台式の日本語」を当たり前にし、更に台湾の日本風情を作り上げたのだ。
條通の有名な鰻ご飯、本場の日本式スナック、入口から日本語で呼び込みを行っている足裏マッサージ店、更には日本円の使えるお店等、過多な色眼鏡を外すと、ここはまるで独特な日本の生活圏の様である。しかしこれらの日本式の生活の中には、日本の接待文化や、本場の台湾料理が同時にあり、また男女其々が楽しめるクラブがひしめき合っている。
そこで、今回《秋刀魚》はクラウドファンディングのサイトを運営している「flyingV」と共に、どの様にして住宅街から今に至ったのか等ここでしか知ることの出来ない当時の日本生活の様子を明かしてみた。
今回取材した條通の古民家を喫茶店にリフォームした「二條通‧綠島小夜曲」の建築士鍾永男さんが「この路地は昔から台北一国際色豊かな場所だ。」と言っていた様に、歴史の見えないところで、最も深く文化を蓄積し、今の姿を積み重ね出しているのだ。
百年の歴史の流れの中で、私達は人々に一味違った目線から見た條通を伝えてみた。ママさんの人生経験を聞くだけでなく、情緒溢れる日台レストランで舌鼓を打つなど、あなたの林森北に対する様々な想像を覆す事間違いない。
今こそ、新たに條通の日台風情に出会ってみよう!