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【予約】秋刀魚52〈與自己散步〉

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※こちらは予約商品です。発送は9月の中頃を予定しています。海外(台湾)からの仕入れのため、入荷日に変動が発生する場合がありますので、ご留意下さい。 秋刀魚52〈與自己散步〉 発行:黒潮文化(台湾) *中国語繁体字・日本語訳なし *51号よりNTD価格が50元値上げされているため、日本円販売価格も変更となります。 ーーーーーーーーーー 台湾で刊行される〈日本紹介雑誌〉「秋刀魚」。52号の特集は〈與自己散步〉。 「散歩最高〜〜」と伝わって来そうな表紙が特徴の、エッセイストと散歩の特集。 〜〜〜〜〜 台湾視点で特集される「日本」は普段見ている景色にまた違った印象を与えてくれます。 特集テーマも「京都の宿」や「グッドデザイン賞」などスタンダードなものから、「カレー」「コンビニ」「ガチャガチャ」「ラーメン」などのニッチな文化、はては、「下北沢」や「東北」、「香港で見つけた日本」などそこ?という地域特集まで。 言葉はすべて中国語繁体字ですが、紙面の雰囲気は楽しむことができますし、漢字をメインに据えたレイアウトの参考などにも。 もちろん、最近台湾に行けておらず実物が買えない方にも。 バックナンバーはこちら https://habookstore.shop/?category_id=6044ab3f2438605725639047 (出版元サイト) https://qdymag.com/news/takingawalk (出版元サイトより・今号の紹介文) 散歩という手段が、暮らしのエッセイになる。 日本ほど、「エッセイ」という文体を自在に使いこなしてきた国はないと思う。 エッセイは、随筆よりも自由で、日記よりも少しだけ自分なりの視点が加わる。その絶妙な距離感こそ、日本人が暮らしの中で培ってきた「曖昧さ」から生まれるものだと思っている。 書き始める前には、社会を眺めながらも、そこに飲み込まれすぎない。言葉にするときは、飾り立てず、まるで誰かと話しているような口調を残す。そして、いま、この瞬間の「私」という存在を意識しながら、何気ない日常の中にある、人生を動かしていく思考の種を記していく。 そんなふうに、力みすぎず、必要なところでは踏み込み、また軽やかに引いていく。そんな自在な書き方が、なんともすごいと思う。取り繕わず、本質と向き合い、ときにはこれまでの自分さえ覆してしまうこともある。何事にも「結論」を求めがちな今の時代に、「まだ考えているところです。今のところ、まだ答えはありません」という考え方は、なかなか受け入れられにくいのかもしれない。それでも、エッセイという形であれば、そんな未完成な思考さえも、一つの表現として成立する。 では、日々の暮らしの中で、書き留めたくなるような面白さは、どうすれば見つけられるのだろう。何気なく過ぎていく毎日に、自分なりの意味や気づきを見いだすにはどうすれば?そんなことを考えていたとき、ふと気づいた。日本の「名エッセイスト」と呼ばれる人たちには、「散歩好きな作家」が驚くほど多いということに。例えば川本三郎は家の近所を歩きながら、昭和の東京への尽きない郷愁に静かに向き合う。池内紀は人の散歩本を手に取り、自らもその道を歩き、文章とスケッチを添えながら、「歩いてみる」ことの面白さを軽やかに返していく。松浦弥太郎は散歩を暮らしの哲学として実践し、早起きや身の回りを整えることと同じように、自らを律する習慣へと育てていった。 エッセイストたちは、歩きながら外の世界に目を向けると同時に、自分の内側にも耳を澄ませている。あてもなく歩く時間は、いつしか自分自身と向き合うための、静かなひとりの時間になっていく。 散歩は、あくまで手段だった。自分と向き合うことこそが、その先にある目的だったのだ。 雑音があふれ、先の見えない時代を生きる今。変化のなかに生まれた小さな波紋は、いつしか不安や迷いという大きな波となって、私たちの心に静かに押し寄せているように感じる。だからこそ、今号の特集「自分と歩む」は、そんな日常の中から生まれた。自分の声に耳を澄ませながら、それぞれ異なる人生の時間を歩む人たちとともに、自分という存在を見つめ直す、小さな散歩道をたどってみたいと思った。本質とは何かを問い続けるバンドマン・安部勇磨の揺らぎ。「変わること」と「変わらないこと」をまっすぐに見つめたる写真家・川島小鳥の率直な言葉。そして、有我と無我のあいだを行き来しながら、「今、この瞬間」に意識を向ける禅僧・枡野俊明のまなざし。『秋刀魚』にとって初めてとなる、より深い心の内側へと踏み込む特集を通して、私たちは外の世界の音を少しだけ小さくし、誰かに向けてではなく、自分自身について語ってみる。 誰もがそれぞれの悩みを抱えていること。答えは、急いで見つけなくてもいいということ。そして私たちは皆、一人でこの世界に生まれてきたということ。 一人で歩く時間は、決して寂しいものばかりではない。ときには違う「まなざし」を持つ誰かと歩くことで、自分ひとりでは気づけなかった景色に出会えることもある。漫画家・本秀康と愛犬 mocozo の日々からは、お互いに寄り添うやさしさを感じる。そして少し足を延ばして、スヌーピーミュージアムへ。そこには、肩の力を抜いて生きることを教えてくれる、やわらかな癒やしの哲学があった。小さな犬の目線まで少しかがんでみるだけで、いつもの景色は少し違って見えてくる。そんな視点の変化が、一歩一歩を、もっと自由で、もっと楽しいものにしてくれる。 エッセイストでなくても、散歩はできる。歩いているうちに、世界は少しずつ静かになり、日本の哲学者・国分功一郎が『暇と退屈の倫理学』で語った「退屈の声」にも、耳を澄ませられるようになる。 その道のりは、気づけばもう、人生のエッセイになっているのかもしれない。

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